火曜日 8th 3月 2016

by jun

天保9年(1838年)田無村名主 下田半兵衛富永が飢饉に備えて稗を貯えるため自宅の庭に五百石入る稗倉一棟を自費で建てたそうな。。。                            現在は西東京市の指定文化財である。干支にちなんで12分の1づつ年々詰め足し古穀を貧困者並びに火災、病難等の者に分配していた。今でいう備蓄倉庫の様なものであろうか。。。

田無に江戸時代からの文化財の稗倉の移築に伴う石碑、既存樹の保護、景観の整備を行っています。下請けで作業に関わったのですが、地元の歴史を知る上で有意義なことになりました。。。

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まずは傾いた石碑を起こして既存樹木や周辺の撤去から

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埋まっていた古い水路などが出没して作業を中断することも。。。 市教育委員会や考古学の先生、設計者、たくさんの方々が登場します。

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たくさんの意見をふまえながら制作いたしました。

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下田家に隣接する田無上水の水車で実際に使われていた石臼を飛び石に配置、古い水瓶も。

半兵衛さんは「槐宇道人」という雅号があったそうです。ゆかりの槐(エンジュ)の木を石碑の傍にそえます。

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稗倉の傍には下田半兵衛さんの功績を称えた石碑「養老田碑」                            江戸時代に立てられた緑泥片岩の固い石質。

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下田家の庭から下草を移し植える・・・水仙は春を告げてくれます。

稗倉はこれからも田無の町の移り変わりを見守ってくれることでしょう。

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