枯れ葉舞い散る日曜日の午後、森の中を散歩しています。
駒場公園には昭和4年に建築された旧前田家本邸(洋館)があり、周囲には巨木や石灯籠...歴史を感じます。
レリーフを数多く施していて、ステンドグラス、精巧なディテール、どこかすっきりとしているたたづまい。。。
昭和の初期の日本建築の技術の高さには、ため息が出ます。
なか廊下をへて「和館」ともつながっています。一番見たいところだったのですが只今耐震補強中とのことで休館していました。
耳を傾けるとフルートの音が聞こえてきました。音楽会です。
木々と落ち着いた雰囲気は伯爵の時代にタイムスリップします。
ときより風が止むと自然の静寂。。。
サクラの季節にまた来ようと思ったのでした。
少し前になりますが某温泉へ植栽と既存樹木の伐採抜根の作業に伺いました。 営業前の早朝作業です。
今では珍しくなった枯山水の純和風庭園での作業。景石の根締めに日陰に強い伽羅の木を植えました。うまく根付いたと、 施主様から後日連絡が入ってホッとしています。 続いてモッコクの伐採抜根の作業です。 重機などが一切入らない中庭、手作業で苦戦。音もたてられません。苔や枯山水も傷めない様に十分配慮します。
大きな景石にチェーンブロックで牽引して根を抜くことができました。
苔むした庭、風にそよぐ紅葉、水の音、光の陰影が心地よい。 和風庭園、やっぱりいいですね。
後日、母親の古稀のお祝いで兄弟孫勢揃いで温泉に入ってお料理をいただいてきました。 素晴らしい庭の眺めに癒されました。
植木にもいろいろなストーリーや諸説がございまして調べて見ると面白いものです。
「枇杷の木を植えると病人が増える。」という言い伝えがあります。
いずれも風説なのですが・・・。
◇理由その1◇
枇杷の木は常緑樹で大きな葉がつき大木になるので庭が薄暗くなり家屋も暗くなり、ジメジメして湿度もあがり陰気な感じになり、それが原因で病気が増えるという説
◇理由その2◇
枇杷には薬効成分があり、その昔中国ではすべての病気に使っていたほどです。そのため枇杷の葉を求めて沢山の病人が訪れるようになった。→病人が増える、という説
ちなみに我が家にもかつて家の西側に枇杷の大木がありました。西日を遮ってくれてとても良かったし、祖父も93歳まで元気で往生しました。
子供の頃は木登りして枇杷を食べて、種を飛ばして遊んでいた思い出があります。
中国では「大王薬樹」といわれ実は万病に効くというほど珍重されたそうです。
先日、ビワの木を移植を依頼されたんです。幹回り1m30㎝もある大木。このビワの木で病から癒されたそう。。マンション開発で伐採されてしまうのが偲びないので何とか生かしたいとのことでした。
無事、群馬の牧場にひきとってもらいました。
私も近頃あちこち痛いので
本当に効くのかな? 今夜は実験的に枇杷の葉を貼ってみようかと思っています。
プロペラ機に乗ってジャイプールに到着。
広いインド、飛行機での移動が便利。
重量制限が厳しいので荷物を小分けする。
タール砂漠の東の端にあるこの町は染色の町でインド更紗やラクダ皮製品が有名
Hawa Mahal「風の宮殿」はインドの代表的なファサード建築の一つである。
Hawa Mahal 風の宮殿
風の宮殿 ピンクシティーという名の町で町中ピンク色だ。 インドではピンクの場は会議などする格式高い場所だそうだ。
突然暑いはずのインドで想定外の大粒の雹が突然降ってきた。インドも異常気象なのだろうか。 翌日はアンバー城へ、巨大な山城で高い城壁、ジープに乗って急坂をガンガン登り城に入る。
読んだ話ではブッダは釈迦族の王子様だったそうな。。。高い城壁の中で王子として、何一つふじゅうなく過ごしていたのだろうか。。。
それから一同はジャイプールからアグラ~バスで250㎞の移動 幹線道路で農村を駆け抜ける。
アグラ城塞
かつてイギリス軍に攻撃された大砲の穴の跡があいていた。 インド砂岩の赤い壁は約2.5キロに渡って続いています。
一行は最後の目的地タージマハルへ
日干し煉瓦を作っていたり 途中、あちこち祭りで道路が封鎖していたりする。VIPも通るとのことで突然通行止めだ。
道が横断できないのでガイドが必死になって交渉している。タージマハルに一同を連れていかないと彼の仕事は遂行できない。一緒に交渉してくれと頼まれる。バスから降りて交渉してみるがダメだ。 バスが立ち往生して完全に動きがとれなくなり、ガイドのすすめでリキシャに飛び乗る。裏道は牛も豚も犬も人もネズミも共存しているような凸凹道だ。揺られる。泥水が飛び散る。タージマハルまで もう少しのところでリキシャから降ろされて、そこから走る走る。。。疲労と腹痛がピーク なぜか笑いがこみあげてきた。インドは何が起こっても不思議ではない。 目的地タージマハルへ着いた頃はすでに夕方。 くたびれ果てて大理石の床に座りこんでしまった。 涙がでた。
タージマハルはヤムール川のほとりにひっそりと佇んでいた。
亡くなったお妃様を偲んで造られたモニュメントだそうだ。
夕日に赤く染まっていました。
カメラを向けると「撮ってくれ」と言わんばかり 子供たちの瞳が皆輝いていること 印象的でした。
今回のインドの旅 風景、文化、宗教、食、そして人々、日本の都会では見ることできないものを見て体験していろんなこと感じました。日本に帰ってさらに興味が広がります。 子供たちはカメラを向けると皆元気にはしゃぎます。 インドには紀元前から脈々と流れている深い文化がありました。旅行を計画していただいた片山夫妻、アーメダバードを案内していただいたサタム夫妻には心より感謝感謝です。
夢の国 インド またいつの日か行ってみたい。ナマステ
インド回想録2
週末、パートドヴェール作家の波多野裕子さんの個展に目白へ行ってきました。 クリスマスローズ色、くもりガラスの器、どれもこれも素敵なものばかり。。。
磨き上げた器、ランプシェード とてもピュアな空間でした。
せっかく目白へ出てきたので、その付近を散策していると鬼子母神へたどり着きました。
しらべてみると鬼子母神は安産、子宝の神様で、その像は天女の様な姿をして子供を一人抱き右手にザクロを持っている。
神社の中のあちこちにザクロの彫刻があります。
たくさんの小実が中に詰まっている、細かい小実が熟してから親実が割れる、などと縁起ものとされています。
イラン、アラビア、アフガニスタン、インドと伝わり中国西域をへてシルクロードを渡って平安期以前に日本に伝来。古代ギリシャ、エジプトでも妙薬として使われ、旧約聖書にも頻繁に出てくるそうだ。
様々な文化の影響を受けてザクロにまつわる様々な伝説もあり鬼子母神もその一つ。
果実よりも朱色の花をめでるのにお庭に植えられるザクロですが「朱に交われば赤くなる」の朱とは中国のザクロの花のことだそうです。ザクロの果実は女性ホルモンの「エストロゲン」が豊富に含まれるそう。女性ホルモンの存在など知らなかった古代から豊穣、子孫繁栄のシンボルとして崇められていたとは興味深い話です。